「風浪の果てに」一般発売日に寄せて~東日本大震災から6年が過ぎました~ VOL.24
2011年3月11日に起こった東日本大震災から丸6年が経ちました。あっという間の6年間でした。
昨年の3月10日現在までに判っている人的被害は、福島・宮城・岩手をはじめとして死者は15,894人、警察に届出があった行方不明者は2,561人となっています。
尊い命を突然に絶たれてしまった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。そして未だに故郷に戻れない方々、いまもって行方不明の方々の消息を尋ねておられる、ご親族の心中を思うと胸が痛みます。
大震災から東電の原発事故に至る、日常から「非日常」の天災(地震)と人災(原発事故)は、あらゆる日本人の生活と意識構造を変えてしまいました。
肉親や親戚、友人を一瞬にして失ってしまった方々だけでなく、全ての日本人が、大きな影響を受けているのですが、「俺は関係ねえ、他人事だ。税金を上乗せされるのも納得がいかない」とうそぶく方は、想像力の欠如といわざるを得ません。
大震災と原発事故は感情的なしこりや、補助金等の経済的な問題も含めて、様々な捻れ現象を生み出しました。それらのことは、政府・行政、東京電力はもとより、本来明らかにすべき存在であるマスコミも、現在・将来に亘り、決して国民に具体的な情報公開されることはなく、肝心な部分は隠蔽されたままで、歴史の闇のなかに葬られるでしょう。

無数の情報や憶測が乱れ飛ぶ「情報化時代」ですが、想像力の欠如は今後益々増幅していくと思います。残念ながら情報の欠片に振り回され、多くの人達が、刹那的、享楽的で、「自分自身の物差しで物事を考える」ことをしなくなったからです。(「出来なくなってしまった」と言うべきか) 物事を複眼的に、重層的な関係で捉えられなくなっています。
その物差しを形成する精神的な土台は、宗教的な思想書や、伝統的な文化などによって、伝承され形成されていくものですが、憲法20条によって宗教は尊重されるべきものであるが、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定されており、公立学校の義務教育・高校教育では、空海、親鸞や道元、日蓮などの「日本人の強い意志」の思想を学ぶことは無いのです。これらに確かに含まれる自分の思考の根っこを知らずに、どうして物事を「考える」事が出来るのか。不思議に思います。
我々は日常的な行為をただ流されるままに、無意識にやり過ごしてしまうと、地球規模の権謀術数の坩堝に呑み込まれてしまいます。考える物差しが無いのですから当然です。

西行法師が伊勢神宮に参詣した際に詠んだとされる歌にこういうものがあります。
「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
(ここにどのような神がいらっしゃるのかは 存じ上げないが、身にしみるようなありがたさが こみ上げてきて、思わず涙がこぼれてしまった。)
西行法師の歌を、共感できる嬉しさは、日本人として大切な事ですが、今や我々の身の回りは直截に世界とつながっています。西行さんのように無防備でいるわけにはいきません。かといって、今さら宗教的な思想書など一行も読みたくないという方にお勧めするのが、良質の長編小説です。それもやや硬質の歴史小説・時代小説をお読みすることをお薦めします。
私が凄いと思う長編歴史・時代小説の作家の筆頭は吉村昭さんです。どうしてこんなに詳細な資料を集めて、しかも淡々と書くことが出来るのか。一度お目にかかりたかった先生です。
今回の「風浪の果てに」では、複数の資料の記述が全く違っていて、歴史的に「?」という特定できない部分が多くありました。吉村先生の記述を基礎として、自分なりの判断をさせて頂きました。
幕末・維新の時代、「尊皇攘夷」の嵐の中で、福島脱藩浪人沼崎吉五郎という不思議な人物の苛烈な半生を描きましたが、その主人公の吉五郎は、小伝馬町の牢獄で、吉田松陰と二度同囚になるという偶然によって、「松陰」の遺書「留魂録」を大事に守って後世に伝えました。
しかしその吉五郎は、今までは、松陰の添役にすぎませんでしたが、「 風浪の果てに」では 吉五郎が主役です。
私はこの作品において、自らの死を賭し「狂」をもって尊皇攘夷の志を鼓舞した松陰と、その対極の人生を「生ききった」吉五郎を際立たせたかったのです。
また「勝てば官軍」と、時流に乗って尊皇攘夷活動をした、無知蒙昧な長州人が非道を働き誅されても、維新後に祀られるという、おかしな現象が数多く存在します。勝者の歴史は必ずしも正しいものではないということを知るべきです。しかし「自己の物差し」を持っていなければ、その判断すら出来ないのです。
本作品では、吉五郎が係わった女達に、突然の不幸が度重なって起こり、日常が非日常の悲劇に暗転するその運命は、 東日本大震災に罹災された方々の不幸と同質のものです。そして吉五郎が置かれた立場は、被災されて未だに出口のない方々の心を表象しているかの様です。
我々は、吉五郎のように、繊細な心根を決して喪失しないままに「理不尽に対する耐性」を学ばなければなりません。
東日本大震災、原発事故から6年経った今、人生の幸福と不幸は、常に背中合わせにあるということを忘れないことが大切でしょう。突然襲いくる不測の事故は、残念ながら人智を超えて、不可避です。それ故に、我々は与えられた命を、生ききらなければならないという覚悟が必要です。この当たり前のことを、しっかりと確認するために、「風浪の果てに」が少しでも皆様の「物差し作り」にお役に立てれば嬉しく思います。

小説の冒頭P45に、福島の弁天山で、吉五郎と芳の会話があります。
「ふん、何もわざわざ不幸な話を聞いて、更に不幸になることはねえじゃねえか」
吉五郎はぶっきらぼうに言った。
「不幸な話は、私のような女には却って慰めになるんだよ」
「風浪の果てに」の冒頭から、最後の一行まで繫がっております。
じっくりと、お読みください。

「風浪の果てに」は 人間不可避の「生と死」の深部と、激動の幕末維新を組み合わせた「時代小説」ですが、意識が先走り、十分な推敲まで手が廻らなかったこともございます。正誤表と、敢えて拘った言葉の使い方も下記に表記いたしました。
http://norkpress.com/(ノーク出版のサイト)の「Links」をクリック頂ければ幸いです。
春吉省吾   2017/03/13
ならまち
元興寺
東寺・弘法市
真如院
真如院2
金戒光明寺
聖護院
八坂神社
●「ならまち」の落ち着いたただ住まい。「元興寺」の石塔。早い時間で、拝観客はだれも居ませんでした。
じっくりと係員の方から興味ある話を聞くことが出来ました。ここから新薬師寺まで歩きました。「前に来たときより暗く感ずるのですが」と尋ねると「ええ、前よりも照明を落としています」とのこと 。感性は未だ鈍っていませんでした。奈良国立博物館で特別展「お水取り」を見て、近鉄特急で京都へ。2017/02/21
●京都に移動し、ホテルにチェックインして、毎月21日に開かれる「弘法市」を見に行きました。夕方で撤収が始まっていましたが、賑わいの名残は残っていました。
2017/02/21
●真如堂の庭園は何度見ても美しい。
写真2枚。
そこから歩いて、金戒光明寺へ(写真左下)。京都守護職を務めた会津藩主・松平容保が本陣を構えた寺で、新選組誕生の地でもります。聖護院は修験道の寺・山伏の寺だが、皇室とも関係が深い。(写真右下)2017/02/22
●知恩院から八坂に抜けて、四条大橋の袂のレストランで食事をして、最後は霊山歴史館へ。
いゃあ、よく歩き、楽しんで参りました。2017/02/22
次回は、皇室・公家の史蹟を重点的に調べに行こうと思っています。「初音の裏殿」の大きなテーマになっています。

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