随筆「言挙げぞする」、2月中に脱稿します VOL.35
近くの紅梅
●ご近所の庭に5・6日前から咲き出した紅梅。寒さや雪にもめげずに、健気で美しい。2.6
近くの白梅
●ご近所の庭に、紅梅と白梅が同時に咲いている。道路から眺めるのに最適の場所にあることに感謝。心に春がやって来た。 2.6
西新宿小学校
●角筈にある西新宿小学校。校庭の日影のところには未だ雪が残っていた。2.6
新宿熊野神社
●新宿十二社・熊野神社。ここは今年初めての参拝。新宿中央公園の直ぐ隣りにある。都心とは思えない静寂さである。
大田南畝の水鉢
●熊野神社。大田南畝の水鉢がある。名が刻まれた石の水鉢があるだけだが……。大田南畝は、御存じ太田蜀山人である。幕府の下級武士であったが「狂歌」の名人。IQがずば抜けて高かったという。
例えば「世の中は酒と女が敵(かたき)なり どうか敵にめぐりあいたい」。いいね!!
熊野神社の梅
●熊野神社の梅の木は、未だ蕾も膨らんでいない。
梅の開花は3月の初旬ごろだろうか。

 2月も第2週に入りました。
 今週も寒さが厳しいようです。未だ春の兆しも見えない2月朔日、近所の庭先に白梅と紅梅が早々と咲き、散歩の足を止め、楽しませていただいています。
 11月の末から、体調管理のために「禁酒」をしておりまして、正月三箇日に屠蘇を数杯飲んだだけで、今日までその禁は破っておりません。おかげでお歳暮で頂いた清酒はそっくり手つかずで、花見の時期まで持ち越しです。
 このところ、一日6千歩から8千歩歩くようにしています。昨日はちょっと張り切って新宿十二社熊野神社まで参拝に行ってきました。新宿中央公園の直ぐ脇にあります。自宅から往復で9千歩です。9年前までは、道路を挟んで向かい側に十二社温泉というチョコレート色の天然温泉がありました。廃業してしまったので、都庁に近いところに温泉があったことを知らない方も多くなりました。
 数年前から、音楽を聴きながら、ジョギング・ウォーキングをしていましたが、このところの散歩は、頭は空っぽにしてただ歩くことだけに専念しています。何も考えずに、景色を見てもそこに景色があるという感覚でながめるだけ。雑念は敢えて振り払わず、ただ歩く。慣れてくると、何も考えなくなります。これが、頭を休めて、ひらめきを誘発する(?)というわけです。
 よく射(弓術)は「立禅」などといわれますが、さしずめこれは「歩禅」だな、と勝手に造語して一人悦に入っています。

 「言挙げぞする」という、哲理的随筆集が、今月中にようやく脱稿出来そうです。その後、校正し、印刷製本という予定だと、4月ぐらいの上梓でしょうか。
 一昨年の3月にお亡くなりになった「同根会」の長谷川代表、その会で知己を得た伊藤くみ子先生の御仏前にようやく供することが出来そうです。同会に参加されていた会員の方々だけでなく、日本中の多くの方々に読んで頂ければいいなと思っています。
 内容は、かなり硬派で、ヤワな読み捨ての随筆集とは違います。
1万6千年前の縄文の精神から、現在進行形のコンピュータのAI(人工知能)、デープラーニング(深層学習)などを時間軸に、武術論やエントロピー論、私のこれまでの経験や独学してきた儒教、道教、仏教、旧約聖書の世界も含めて、従来日本人が、誤って信じてきた、あるいはいい加減にスルーしてきたことを明らかにしています。飛鳥時代の天武・持統天皇の深慮、儒教や道教が神道とどう関わったのかなど、日本の基層にある精神性を精査します。それをしないと不安ばかりが増し、私達を取り巻く、近未来の激変する環境に柔軟に対応できないはずなのです。
 私達は、どう生きて死んでいくのか、「正しい物差し」がなければ覚悟が定まりません。
 しかし、従来の情緒的で一人合点の薄っぺらな思想では、あまりに無知・無防備だということに思い当たりました。
 様々な「生死観」を知り、正面から向き合うことで、人生の密度が変わります。限りある生を充実して生きるためには「死」の学びが必要です。高齢化社会に向けてただ延命を求めても、「人生生ききった」とはいえないと思うのです。
 私が生きてきたささやかな体験から、大宇宙の成り立ちに至る宗教・思想までを「言挙げぞする」の18の文章に詰め込みました。残すはあと1章です。読み返した文献も膨大になりました。                                2018.2.7 春吉省吾

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